[第7回]

60年ぶり、ショウキサマ生まれ変わる・下

(2017年10月20日 掲載)
ショウキサマを解体修理する際に外された木製の男女性器

黒ヘビが飛び出す

 「魂抜き」の儀式の後、2体のショウキサマは解体されることになった。小掛集落でただ1人、ショウキサマ制作の経験がある小玉忠さんが陣頭指揮をとり、約10名の男性によって解体作業が始まった。まず木製の頭部、刀、キセル、そして男女の性器を取り外す。次に全身を覆う杉の葉を取り除くとボロボロの筵(むしろ)に覆われた本体が姿を現した。乳房やへそも編みこんで作られていたのが分かる。筵を取り外すと、茅の束を6本(うち2本が手足に)縄でつなぎ合わせた構造になっていた。

小玉忠さん(写真中央)の指導でショウキサマの解体が進む

 「なるほど。こうなっていたのか」

 みな初めて見るショウキサマの秘密に興味津々だ。小玉さんは60年前のことを次第に思い出してきたようで、指示を円滑に出している。解体を進めていくうち、一体のショウキサマの中からなんと一匹の黒いヘビが姿を現した。

 「絶対殺すなよ。逃がしてやるんだ」

 ショウキサマを住処としていたヘビは作業している男たちの足もとを悠々とくねって川岸へと消えていった。

凛々しくなったショウキサマ

 ショウキサマが完成し、予定通り祭典が行われるという知らせを受けて、9月3日に再び小掛を訪ねた。公民館へ到着した時にはすでに「魂」が入り真新しい杉の葉をまとったショウキサマが2体向き合って鎮座していた。今年60年ぶりに作り変えるという情報を提供してくれた「珍スポトラベラー」の金原みわさんもこの日のためにわざわざ大阪から駆けつけていた。

 ショウキサマの前には「魂抜き」の時よりも大きな机が置かれ、住民の方々がお供えを持って次々にお参りに来ていた。参拝の後はみなショウキサマの脇に置かれた杉の葉を何枚か持ち帰っていく。その意味について、地元の女性に教えてもらった。

 「昔からこのお祭りの時にショウキサマの杉の葉を抜いて玄関に挿しておくと厄除けになるという言い伝えがあるのよ。以前はショウキサマが村の中を練り歩くときに体から引っこ抜いたんだけど、今はこうやって最初から持っていく分は別に用意しているの。そうしないと、ショウキサマがせっかく新しい葉を纏ったばかりなのに申し訳ないからね」

青々しい杉の葉を纏って向かい合う2体のショウキサマ

 今回、ショウキサマを制作したときのことを区長の成田政弘さんに聞いた。

 「40人以上の住民が関わりました。当初は6日かかると思っていたけど、小玉さんの指導がよかったから半分の3日で終わったんです」

 大変だったのは乳房とへそを取り付けることだった。乳房とへそは、本体とは別に作ったものを埋め込ませる仕組みになっており、試行錯誤の結果、木のクサビを使って貫通させたという。顔や性器など木製の部分は新調せず以前のものを使ったが、新しく塗り直した。

 「とても凛々しくなりましたね」

 真新しくなったショウキサマを見つめながら成田さんは目を細めた。

神々の交合

 いよいよ男女のショウキサマをそれぞれの祠(ほこら)へ戻す儀式が始まった。かつては村の若い男性がショウキサマを背負って集落を回ったが、今は1体ずつトラクターに乗せて練り歩く。いつから変わったのか、成田さんに聞いた。

 「ショウキサマを背負って歩かなくなってから20年くらいになるかな。私も30代の頃にやったけど次の日に立ち上がれなくなってね」

男神、女神を乗せたトラクターを先頭に村内を練り歩く

 ショウキサマの重量は100キロ近くになる。トラクターに変わったのは、ショウキサマを背負って歩ける若手がいなくなったというのが大きな理由だ。それでも太鼓、鐘、笛の演奏に合わせて、2体の神様がゆっくりと運ばれていく姿は実にユニークでかつ神秘的である。

 ショウキサマを乗せた二台のトラクターを先頭に、お囃子の演奏者を荷台に乗せたトラック、そして祭典の参加者が行列を作って村内を練り歩く。やがて村の北側にある女神の祠に到着した。ここで祭りのクライマックスとなる儀式が行われる。向かい合った男女のショウキサマの性器を互いに結合させて、その周りを人々が大きな数珠で囲み、それを回しながら百万遍の念仏を唱えるのだ。かつてはこの儀式を村内にある有力者の家々の前でも行っていたという。参加した一人の女性は約50年前に他の町から小掛に嫁いできた。最初にこの儀式を見た時は「カルチャーショックを受けた」そうだ。

女神の祠(右上)の前で行われた儀式

 「小掛に来たばかりの頃はとても恥ずかしくて『なんでこんなことをやるんだろう』って思っていた。でもお姑さんから『そんな事、言ってはダメだよ。昔から村を守ってきた神様であの儀式には子孫繁栄やいろんな意味があるんだから』ってね。今では『私の方が間違っていた』って思うよ」

 女神を祠に納めた後、男神が橋のたもとの祠へと帰っていく。小玉さんによれば昔からかならず「男は女を見送ってから、自分の場所へ戻る」習わしであったという。

女神を見送った後、男神が自分の祠へ帰っていく

 「男のショウキサマを背負う若者は歩く途中で絶対休んではいけなかった。『オイダー、オイダー』って掛け声を出しながら歩いたんだよ」

 女神の祠から男神の祠までは距離にして450メートル。その間、100キロ近い人形を担いで休まずに歩くのはさぞかし大変だっただろう。

 男神のショウキサマを無事に祠に納めた後、男たちは祠の前で御神酒を酌み交わした。年に1度の祭典、そして60年ぶりの解体修理という大仕事を成し遂げた人々の顔の表情はとても晴れやかだった。

 成田さんは今の心境を語る。

 「この事業に携われたことはうれしいですね。これでショウキサマを後世に伝えていけるんだなと」

 今回ショウキサマを制作した男性のほとんどが60歳以上。取材中に何人もの方から「昔はたくさん人がいて、祭りはもっと盛大だった」という話を聞いた。今後、人口減少が加速していくと予想される中で伝統行事を持続していくことは相当困難を要するだろう。しかしショウキサマを作り変えたことで、ひとまず次世代へバトンを渡す準備は整えられたのではないか。

 「この行事を子供たちに引き継げることができたら何よりですよ」

 祭典の参加者の中にはおじいちゃんに手を引かれてきた子供や若いお母さんに抱かれた幼児の姿もあった。この子たちに古代の民間信仰を起源とする貴重な村の行事を守り継いでほしい、私もそう願わずにはいられなかった。

祠に安置された女神をお参りに来る人々。お供え用の団子は無病息災の効用があると言われている
小松 和彦(こまつ・かずひこ)
 1976年秋田市生まれ。青山学院大文学部史学科(考古学専攻)卒。在学中に東北アジアの学術発掘調査に参加。99年カンボジアのNGO活動に参加したのをきっかけにアジア・アフリカの民族文化や手仕事に関心を抱き、各地の美術工芸品の収集・販売を始める。2006年父の跡を継ぎ、秋田駅前で工芸品を展示・販売する小松クラフトスペース代表に就任。11年から秋田県内の遊郭・色街の調査活動を始め、16年に「秋田県の遊廓跡を歩く」(カストリ出版)を刊行。「縄文文化」「世界の民族工芸」「遊廓」などに関するレクチャーを京都、秋田の美術大学や博物館などで行っている。