山崎孝

映画の跡は栄華の跡

(2013年1月7日 付)
閉館した映画館の映写室で=先月14日、秋田市・有楽町

 東京生まれの私は、縁あって昭和21(1946)年6月、秋田県庁の外郭団体「秋田県移動映写連盟」に職を得ました。

 移動映写とは出張して映画を上映することです。機材一式とフィルムを担いで県内くまなく回りました。会場は小学校の講堂や地元の芝居小屋などです。これといった娯楽もない時代です。大人も子供も「映画の人が来た」と歓迎してくれました。

 移動映写連盟は翌22年11月に解散となりましたが、運よく映写技士として秋田大映映画劇場に勤めることができました。大映劇場の当時の住所は秋田市亀之丁西土手町。東京の映画街・有楽町に倣って、後に有楽町と呼ばれる通りです。

 私が入社したときは通り沿いの映画館は大映しかありませんでしたが、25年に秋田中央劇場が、30年には秋田松竹映画劇場と秋田日活会館ができて秋田の映画街に発展しました。そこで映画館の経営者たちが地元商店会に提案して、有楽町を通称とすることに決まったそうです。

 当時、日曜や紋日(もんび)(祝日)、農作業の休みには汽車で大勢の人が映画を見に来ました。秋田駅で降りて人の流れに付いて歩けば、初めての人でも迷わず映画館にたどり着けた、なんて言われたものです。

 その有楽町の映画館は昭和56年の10館をピークに1館また1館と閉館し、最後の1館(シアタープレイタウン)も先月24日で閉館してしまいました。45年余り有楽町の映画館で働いた者としては寂しい限りです。

 県内には私が調べただけで182の映画館がありました。定年後、そのうち170館の跡を訪ね歩きました。「映画」ならぬ「栄華」の跡をたどる思いでした。有楽町も、その一つに加わるということですかね。